自分の頭で考えるとはどういうことでしょうか?
私はまさに『自分の頭で考える』のが苦手です。それでもこれからの生き方としてそうは言ってられません。少しでも自分の頭で考えられるようにして、自分の手助けとなる力をつけていきたいと思っています。
そこで『自分の頭で考える』をテーマに読書をすすめているところです。今回は【自分の頭で考える/著外山滋比古】を読み、気になったところをブログに残しています。
リンク
目次
『自分の頭で考える』の手本として
著書は『自分の頭で考える』についてのノウハウ本ではありません。エッセイに近い感じです。著者のモノゴトに関する意見が書かれており「自分の頭で考えるってこういうことだよな」と考えさせられます。ただ知識を詰め込むだけでなく『独自に考える』ことの大切さについて触れることができました。
『自分の頭で考える』とはどういうことか?イメージがわかない方は一度、著書を手にとって読んでみて欲しいです。
【自分の頭で考える】を読んで気になったところ
本との向き合いかた
運動について
リテラシーについて
エスカレーター人生
文学について
本との付き合い方
原則として知識を与えるだけのものは読みません。昔読んで、いまも気になる本を再読、三読します。 出典元:タイトル/自分の頭で考える 著/外山滋比古 出版社/中央公論社 p25
本をえらぶ基準や読みかたも変えていきます。個人的には知識を与えてくれる本も大切だと思っていますが…『考えるきっかけ与えてくれる本』、『完全に理解はできなかっけど面白かった本』の再読、 三読をやっていきたいです。しばらく本の付き合いかたとして『良書と深く向きあう』を実践していきます。
運動について
著者は自分で考えて行動し、 日常生活にいかしています。
運動も大事にしておられエクササイズは足・手・口を意識していたようです。足は散歩で鍛える。手は道具が便利になりすぎて手を使う機会が減っていることから特に非利き手を意識して使う。口は時代の変化で食べ物が柔らかくなってきているので咀嚼を大事に。
そして、すごく大切にしていると伝わってきたのは「しゃべること」です。話すことで頭の整理になる。これは別の著書『思考の整理学』でも述べられていました。著者は同期の友人と集まり気がねなく議論を交わす会を定期的に行っていたそうですが、そのうち友人と2人がなくなります。 そのため話す機会の場がなくなりましたが、これではダメだと改めて議論を交わす会を作ったくらいです。
私も本が好きな友達と会って飲むとき、本の内容についてよく話します。私の場合はしゃべってみるとあまり理解できていなかったんだなと感じることばかりなのですが、これも頭の整理の一つですね。本の内容や感じたことについて気兼ねなく意見を交換できたり、違うことに興味をもてたりするので「しゃべる」こと は重要なことだと私も感じています。
先日、若い友人がわたくしの散歩好きをあざけって、「何の目的もなく散歩するのは、ボクはいやです」と言いました。 わたくしは散歩が好きだから歩いているのです。体によい、 などというのはつけ足しです。だから、 散歩はわたくしにとって純粋スポーツです。 出典元:タイトル/自分の頭で考える 著/外山滋比古 出版社/中央公論社 p82
「人間をつくり、文化を拓くスポーツは、いまのところ散歩しかないように思われます。これなら、 だれにも、いつでもできます。」 出典元:タイトル/自分の頭で考える 著/外山滋比古 出版社/中央公論社 p85
自分の頭で考えるとはこういうことでしょう。なにがスポーツでなにがスポーツじゃないかなんて答えのない問いです。スポーツに対して自分の意見をハッキリ述べられています。人によってのスポーツの定義はそれぞれ。自分が好きで、楽しくできればなんでもいいのです。
リテラシーについて
一次リテラシー→ある程度知っており、理解できるもの
二次リテラシー→未知のもの、知識がないもの
と表現されています。
一次と二次のリテラシーは性格を大きく異にします。前者は、主として記憶と再認によって読み、後者は、 洞察と想像によって解読するのです。 出典元:タイトル/自分の頭で考える 著/外山滋比古 出版社/中央公論社 p113
著書では、仲介が入り解釈され低次の表現を提供された時点で二次リテラシ ーではなくなる。段階的な移行はない。と述べています。難しいですね。読書楽しもうと思うと一次リテラシーを選びがちです。知識とか表現、 読解力をつけていくなら二次リテラシーにも触れることが大切のようです。とはいうものの二次リテラシーの例として漢文の素読を例にあげています。これはハードル高いですね…
ここで一番思ったことは世の流れとしては、読解力の低下につながる要因が増えているとういうことです。動画コンテンツやSNSの普及、「わかりやすく解説」といったタイトルの本や記事はとても助かるのですが、リテラシーを鍛えるという面ではデメリットとなります。
エスカレーター人生
「エスカレーター人生」、とても良い表現ですよね。いまや人生100年時代といわれています。 エスカレーターを降りて、「まだ半分も道は残ってるの?」なまりきった身体で、これからの道を自分の足で歩くのはムリだなんて思いたくないです。自分のアタマで考え、自分で道をえらび、自分の力ですすむ。そうできるように日々を過ごしていきます。
「道を歩かない人 歩いたあとが道になる人」
陶芸家河井寛次郎
文学について
読者は、文学にとって、作者に劣らず重要です。作者がいなければ、作品という表現体はできませんが、 それがそのまま文学となるのではなく、読者と遭遇して、 そこで解釈、理解を加えられて、文学が成立するものと考えます。 文学は、作者と読者の協同によって生ずる現象です。 作者は不変ですが、読者は不特定多数ですから、 作品像は読者の数だけ多様に存在することになります。 出典元:タイトル/自分の頭で考える 著/外山滋比古 出版社/中央公論社 p192
文学とは何かなんて考えたこともなかったですが…
表現されたものに対して、 受け取りかたは100人いれば100通りあります。 当たり前かもしれませんが、改めて思ってみると凄いことですよね。文学に限らず、作品に触れてみたらどんどん自信をもって感想を言いましょう。 間違いなんて存在しません。つまらなかったら、つまらないでいいし。 楽しかったら、楽しかったでいい。他人の意見にあわせる必要もありません。
書くこと【考えること】から逃げるな
私がブログを始めたのも思えば、文章の勉強やアウトプットの場も設ける意味もかねてでした。アウトプットの質の向上や効率の改善には『自分の頭で考える』ことが必要不可欠です。
著書でも読むことよりも書くことを優先すべき。書くことから逃げていけいない。と述べられています。
書くことが考えることのすべてではないです。ですが、自分の意見を文章におこし言語化することは考えることのはじめの一歩です。このはじめの一歩を踏みだすことから逃げにないようにしていきます。
今は本を読むとき気になったところがあれば、なぜそう感じたのか考えて言語化しながら読んでいます。自分の頭で考えることは大変なことですが、根気をもってやっていきたいです。
⇓【自分の頭で考える】をテーマに勉強中⇓
【読書感想】13歳からの読解力~正しく読み解き、自分の頭で考えるための勉強法~
【読書感想】10歳でもわかる問題解決の授業 自分の頭で「考える力」が身につく5つの授業
【読書感想】自分で考え、自分で書くためのゆかいな文章教室【読む・書く・考えるはつながっている】
リンク