【人生の短さについて感想】セネカにとっての哲学は自分にとっての何か

あまり言いたくない言葉ですが…
時間がない。あっという間に月日がたってしまう。と感じてしまうことがあります。
時間=人生なんて言われたりもしていますよね。
とにかく大切にすべき、そんな【時間】。
そこで人生の短さについて読んでみました。(Kindle Unlimitedで無料で読めます。)
読んで考えたことをブログに残しました。

 

人生が短くなる理由

われわれは短い人生を授かったわけではない。われわれが、人生を短くしてるのだ。
出典:人生の短さについて 他2篇 光文社古典新訳文庫 著セネカ 訳中澤務
【人生の短さについて】ではこう表現されていました。

 

では、なぜ人生は短くなってしまうのでしょうか?

それは、あなたたちが、まるで永遠に生きられるかのように生きているからだ。あなたたちが、自分のもろさにいつまでも気づかないからだ。あなたたちが、どれだけたくさんの時間が過ぎてしまったかを、気にもとめないからだ。あなたたちが、まるで豊さにあふれる泉から湧いてくるかのように、時間を無駄使いしているからだ。

出典:人生の短さについて 他2篇 光文社古典新訳文庫 著セネカ 訳中澤務

 

『時間が無限にあると思ってしまう』

 

この思い込みこそが、時間をムダにしてしまいます。
時間をムダにする。例えば…
『他人の時間を生きる』
『くだらないことに思いをふけること』
『怠惰な時間を過ごす』
といったことが書かれています。

 

結果的に『時間がない』『多忙』となげくことになり、人生が短くなってしまうのです。

 

人生を長く楽しむ方法

セネカはこう述べています。

 

未来に頼らず、現代を逃がさず、過去と向き合う

 

『未来に頼る』というのは『先延ばし』と考えられます。未来の自分に期待するがゆえに本来すべき重要なことを後回しにする行為です。先延ばしすることで『今』から目を背けることになったり、のちの多忙につながってしまいます。

 

つぎに『過去と向き合う』ですが…

 

セネカのいう長い人生の生き方は『閑暇』な時間をおくることです。閑暇な時間についてセネカは『過去の哲人に学び、英知を求める生活の中にある』と述べています。

 

わたしはセネカにとっては過去=哲学と解釈しました。哲学と向き合う時間こそがセネカにとっての真の閑暇な時間なのです。

 

セネカにとっての哲学は自分にとってのなにか?自問自答してみる

セネカは例えば、歌をならうヒト、聴いたりするヒトもまがいものの閑暇な時間を過ごしているヒトとして批判しています。これは時代背景の影響もあるようですが、無益な情熱を傾けるヒトを批判する内容が多々書かれていました。

 

いまや時代は大きく変わっています。揺るぎない過去、叡智の詰まった過去に触れることも、もちろん大切です。しかし、こうして人生を楽しめる環境が溢れている現代。自分が納得すれば何をしてもいいのではないでしょうか?多忙から解放され『今を生きる』ことができればわたしはそれでいいと考えています。

 

セネカが夢中になれていた過去=哲学との向き合い方。『セネカにとっての哲学』はワタシにとってはなんですかね?『人生の短さについて』を読んでから自問自答しています。

 

例えばワタシの場合は自分を磨くことです。自分を成長させたり、人生を楽しく過ごすために自分が磨けるなら、極端な話し何してもいいのではないでしょうか?
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こうして誰にも読まれないブログを書いています。これもセネカに言わせれば時間の浪費かもしれません。

 

しかし、こうしてブログを書くことは自分が『感じたこと』『考えたこと』つまり過去の自分と向き合うことです。セネカの言う『過去と向き合う』ことにもつながっています。

 

そして、そんな時間も真の閑暇な時間になっていると信じています。